花を育てる、君の姿

母さんの作るパンケーキ。
スラムの教会。
そこに咲く花。
割れたステンドグラスからかすかに差し込むひかり。
ピンクのリボン。
白い宝石。
表紙のない絵本。
欠けたクレヨン。
色で満ちたスケッチブック。
あとはなにがあるだろう。考えながら、エアリスは指を確認する。
この数はなんとなくキリが悪い。だからあとひとつ。そう思っても、もう思いつくものはほとんど出てしまった。
もどかしさに視線を地に 下ろすと、土埃で少し汚れたミュールが映る。
その瞬間、笑みが零れた。これでぴったり十個だ。
「ヒールのカツカツする音」
十六歳の頃に、初めて母に買ってもらった白いミュールは、今もエアリスの足もとで活躍している。
歩くたびに響くこの音は、どうしてだろう。なぜか懐かしい気持ちを思い出させる。
「子供だな」
「悪かったわね」
最近は花の手入れを終えた後、ツォンに送ってもらう日々が続いている。
きっかけはなんだったか、はっきりとは思い出せない。背中越しに感じていたツォンの気配が、いつの間にか隣になっていた。
そうして他愛もない話をする。
昨日は新しい花の種を植えた事。ツォンの部下が、体調を崩した事。
上の街では風邪が流行っているそうで、エアリスも気をつけろと言われた。
そして今日は、好きなものの話。
「あなたの好きなものは、なに?」
エアリスと違って、ツォンは短く「煙草と珈琲」とだけ答えた。
「それだけ?」
「あぁ」
「ツォンらしいね」
お互いの口元が綻ぶ。ツォンは何か思い出したように、もうひとつ追加をした。
「あとは…ビルから見える、魔晄炉の光かな」
「魔晄炉の…ひかり?」
「淡くて綺麗なんだ。まるでオーロラのように、煌めいている」
初めて聞くオーロラという言葉に、首をかしげる。
「太陽からやってくるプラズマの粒子が、この星の磁気圏に入り込んできて、電離層の大気とぶつかって発光する現象だ」
「ふうん…」
難しい言葉の羅列に、エアリスはそれがどんなものなのか思い描けなかった。
あまり感情のこもっていない返事に、ツォンは端的に説明する。
「夜空にカーテンがなびいていると思えばいい。淡い緑色のカーテン」
「なぁに、それ」
その例えに、エアリスはくすくす笑う。先程の難しい説明とは違って、少し可愛かったからだ。
「分かりやすいだろう?」
「ううん、ぜーんぜん」 笑いはまだ収まらない。
ミッドガルを出た事の無いエアリスは、こうした話を聞くのが好きだった。
ツォンに教えられた事は、もう数えきれない程ある。
知らなかった事。知識が増えてゆく事。それはエアリスにとってかけがえのない幸せだった。
「あなたは、そのオーロラを、見た事があるの?」
「ああ。前にアイシクルロッジでの任務の時、一度だけな」
以前、そこは雪の降る地方だと教えられた。聞けばそれは、寒い地方でよく見られるそうだ。
しかし、そこで暮らす住民も見ることは稀だと言う。
「まさに奇跡、ね」
写真はないのと聞けば、その時はカメラを持っていなかったから、と返ってきた。
「ざんねん」
魔晄炉のひかりも、淡い緑のカーテンも浮かぶけれど。
本物はきっと、比べものにならないくらいきれいなんだろう。
そう思うだけに、エアリスは肩を落とした。
「会社の資料室に、載っている本があるかもしれない。もしあれば、持ってくるさ」
そうしていつの間にか、二人はエアリスの家へと辿り着く。
「ありがとう。じゃあ、また、ね」
「ああ、またな」
来た道を引き返すツォンを見送るのも、毎日の事だった。
見送ると言っても、それはほんの数秒で。なんとなく、とまどってしまうのだ。すぐに家に入る事を。
(あれ…?)
ツォンの歩みが止まる。不思議に思ったエアリスも、そこから動けない。
「どうしたの?」
「まだ、あるんだ」
一瞬、何の事だろうとエアリスは思う。オーロラの話?それとも、好きなものの続きだろうか。
「なあに?」
穏やかな風が、二人の髪を弄ぶ。エアリスは揺れる前髪を抑えて、ツォンの言葉を待つ。
漆黒の瞳が、エアリスを見つめる。
やがてその口からこぼれ出た言葉に、エアリスの頬が微かに熱を持った。

 

こういうこっ恥ずかしいことをさらりと口にするツォンさんが好きです。
 

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