「あー、つかれたー。なあ、ちょっと休憩しねぇ?」
川沿いの教会を出てから太陽が真上に昇った頃、突然ククールが声を上げた。
「なに言ってるの、私たちの旅は先を急ぐのよ。休憩なんかしてられないわ」
もう一歩も歩きたくないのか、足を止めるククールに呆れて言えば、彼は相も変わらず呑気な声で。
「分かってるけどさぁ。徒歩の旅に慣れてないんですよね、オレ」
返ってきた子供のような言い草に、怒りがふつふつと沸き上がる。
「あんたねぇ…!」
握り締め、振り上げた拳はひらりとかわされた。それが更に癇に障る。
「ゼシカ、落ち着いて」
隣にいたエイトが、私の拳を制する。
「離してよエイト。私こいつの事、一回殴んなきゃ気が済まないわ!」
「おーこわ。でも怒った顔も可愛いね、ゼシカちゃん」
「なっにが“かわいいね”、よ!もういいわ。エイト、ヤンガス。こんな奴ほっといてさっさと行きましょう」
茶化すように言うククールを無視して再び歩き出そうとしたその時、誰かのお腹が盛大に鳴った。それはもう、凄く豪快に。
「すまないでげす。実はアッシも、この通り腹が減って、休憩したいと思ってたでがすよ」
大きなお腹をさするヤンガスに続けて、もう一人。
「…ごめんね、実は僕もそうだったりする」
恥ずかしそうに頬を掻くエイトに、ククールが笑う。
「よし、決まりだな」
「え、ちょ、ちょっと…!」
私の抗議も空しく、決定となってしまった休憩に、溜息を吐く。
そんな私の傍に馬車を引くミーティア姫が近付くと、彼女は小さく嘶いた。
それは慰めてくれているのか、はたまたこの三人と同じ気持ちなのかは、私には分からなかった。

結局湖の近くで休憩を取る事になった私たちは、役割を分担した。
エイトとヤンガスは枝拾いに。私とククールは昼食の準備を。(本当ならエイトとが良かった、なんて口が裂けても言えないけれど)
ミーティア姫には勿論休息をと、そこで私は御者を務める人物の姿が見当たらない事に、初めて気が付いた。
「あれ?そういえば、トロデ王はどうしたのかしら?」
「ああ。馬車ん中で眠ってるぜ。昨日、あんまり寝てないみたいだからな」
「そうだったの、知らなかったわ」
言われて必要な荷物を取りに馬車の中へと入ってみれば、確かに鼾を掻いて寝ているトロデ王の姿があった。
そんな王を起こさないように、私はそっと食材と飲み水が入った袋に聖水、そして折畳の小さなテーブルを抱えて馬車を降りた。
「ククール。これ、組み立ててもらえる?」
「ん、了解」
外套と手袋を外し、袖を捲り上げたククールにテーブルを渡すと、私は地面に袋を置いて、辺りに聖水を振り撒く。
聖水には魔物除けの効果がある。これを撒いておかないと、食べ物の匂いに釣られて魔物が寄って来てしまうのだ。
「これでよし、と」
空になった聖水の瓶を片付け、再び馬車の中から必要な道具を取りに戻ると、ククールの方も終わっていた。
「出来たぜ。次は?」
「ありがとう。次は…そうね、野菜を洗ってもらおうかな。袋の中に入ってるから」
「どれを洗えばいいんだ?これ?」
袋の中を吟味しながら、ククールがじゃがいもと人参を取り出す。
「うん。じゃがいもは三つ。人参は二本お願いね。あと、お水はその中に入ってるのを使ってちょうだい」
「これ飲み水だろ?湖があるんだから、そっちで洗ってくるよ」
野菜を持って湖へと歩き出したククールを止める。
「駄目!」
「なんで」
「汚いわよ、湖の水なんて
「汚くないだろ、別に。飲み水だって浮くじゃん」
「綺麗に見えても汚いの。嫌なの。水はいっぱい買ってあるから、これで洗って。いい?絶対よ」
持っていた調理道具をテーブルに乗せ、袋の中から水のボトルを二本取り出し、どんと置く。
「はいはい。了解致しました、ゼシカ様」
しぶしぶ引き返してきたククールのその言い方と、わざわざ敬礼までする姿に。出逢ってからもう何度目になるか分からない苛立ちが募る。
けれども私は無視を決め込む事にした。いちいち付き合っていたらキリがないし、なにより時間が勿体ない。
(あのイヤミ男と兄弟なのも納得よ。見た目は全然違うけど、人を苛立たせる所なんかそっくりだもの)
心の中でそうぼやきながら、私はもう一本の水で自分の手と調理道具を軽く洗う。
そしてククールが丹念に洗ってくれたジャガイモを手に取り、ナイフを当てゆっくりと皮を剥いていく。
旅に出るまで、料理など一切した事がなかった私のナイフ捌きは、まだぎこちない。
皮だけでなく実も大胆に切れているが、お構いなしにナイフを進めていると、横で人参を洗っていたククールが突然声を上げた。
「うわ、なんだよその剥き方。危なっかしいな」
「大丈夫よ。指を切らないように、慎重に剥いてるもの」
ジャガイモからナイフを離して告げると、ククールは二本目の人参を手早く洗い。
「いやいや、ホントに危ないって。それに勿体ない剥き方しちゃって…。オレがやるよ。貸して」
そう言うと私の手からナイフとジャガイモを奪った。
「え、ちょっと…」
「いいから、良く見てろよ?こうやってナイフが動かないようにしっかり持って、ジャガイモの方を動かすんだ。
で、ナイフを握った手の親指で、ナイフを抑えながら……」
ククールの手が、器用にジャガイモを剥いていく。それも皮だけを薄く、綺麗に。
スラスラと剥けていくその様に、私は瞬きをするのも忘れ、思わず魅入ってしまった。
「な、綺麗に剥けたろ?」
ぷつりと切れる事無く剥けた皮を見せながら、ククールが口角を上げる。
今まで私は、一つ剥くのにかなりの時間を要していた。けれどもククールは、いとも簡単にほんの数秒で剥いてしまった。
ちょっと悔しいけれど、凄い。下に落ちた皮を手に取り眺めながら、そう思った。
「ナイフばっかに集中して動かしたら駄目だ。切るのを怖がったり、あとうまく剥けないからって変な力を入れると、
ざくっと切っちまうんだよ。だから、切りたいこっちの方を回すんだ。ナイフを動かすよりは、安全だぜ?」
ククールは残った芽を取り除くと、真魚板の上でそのジャガイモを手早く切り、ボウルに入れた。
私はそのボウルに水を入れながら、「ククールって、得意なの?料理」と訊いた。
「まぁ長年やってたからなぁ。あそこの食事は当番制でさ。毎月必ず回ってくるんだよ。
最初は何度も指を切っては泣き喚き、雑な切り方をするなって、年上の修道士によく怒られたっけ」
当時を思い出しているのか、ククールは笑いながら言葉を続けた。
「さっきゼシカに言ったのは、オレがその人に教わったやり方なんだ。オレは感動したね。それきり怪我も減って、楽に剥けるようになったんだ。
騎士になってからはしなくなったけど、一度身に付いたもんは、なかなか落ちないもんだなと言いながら、また一つジャガイモを手に取り器用に剥いていく。
「 そう言えば、ご飯の支度は修道士の人がしてたわね。どうして騎士になるとしないの?」
指輪を返しに初めてあの修道院に訪れた時、食事の支度に追われていた修道士見習いの子供を思い出す。
「んー…。オレ達聖堂騎士は、祈祷とか、魔物の討伐とか…外に出る機会が多いからな。逆に修道士は殆ど中に居るから、それでだと思うけど」
「ふぅん、そうなの」
「ほんとかどうかは知らないけど、多分そういう理由だと思うよ。しっかしびっくりしたね。ゼシカこそ、得意そうな感じするのにさ」
「そう?でも私が料理をするのは、これが始なの」
途端にククールの顔と手が固まる。
「…は?」
空いた口が塞がらないとばかりに呆然とするククールに、私は玉ねぎの皮を剥きながら言葉を続ける。
「私、エイト達と旅をするまで、料理なんてした事なかったのよ」
「…ウソだろ…?」
「ウソじゃないわ。家に居た時は専属のシェフが作ってくれてたから、する必要なかったの」
「専属の…?って事は、もしかしなくてもゼシカって、お嬢様?」
そう言われる事はあんまり好きじゃないけれど、間違ってはいないので「まぁ、そうなるのかしらね」と小さく返事をする。
「お嬢様、か。良い響きだなぁ」
腕を組んで頷くククールの頭を小突く。
「なにが"良い響き"よ、馬鹿」
「痛ってぇなぁー。オレの頭がホントに馬鹿んなったらどうすんだよ。世界中の女が悲しむぜ?」
「あらそう。ならもっと叩いてあげましょうか?」
「遠慮しておきます。それにレディが暴力振るうのは良くないと思うな、おれ」
「なにが“良くないと思うな”、よ。大体、誰のせいよ、誰の!」
ククールと居ると本当に調子が狂う。さっき一瞬でも見直した私が、馬鹿みたいだわ。
「ごめんごめん。でもさ、した事ないのに、どうしてやろうと思ったんだ?エイトやヤンガスに任せりゃ良かったじゃん」
ジャガイモを切り終えたククールが、今度は人参を切りながら問いかける。
「勿論。でもヤンガスも料理した事ないって言うから、私とヤンガスは下準備だけ手伝って、エイトが作ってくれたの。
でも、食べてみたらびっくり。味付けがね、すごくしょっぱいのよ。食べれない事はないんだけど、あんな塩分取ってたら、倒れちゃうわ」
そう。この旅をする事になってまず驚いたのは料理だった。エイトには申し訳ないけれど、よく今まで旅が出来たわねと思ったのだ。
「作ったエイトは兎も角、ヤンガスやトロデ王ももうその味に慣れているのか、普通に食べててね…」
「なんだそれ。おっかしいな」
「笑い事じゃないわよ。本当にびっくりしたんだから。だからつい私が作るって言っちゃったの。
保存食なんかもあるけど、あれは食べた気がしないし…。エイトに教わっても良かったんだけど、やっぱりプロに教わるのが一番かなって」
そう。だから街の宿に泊まり、そこの女将さんに料理を教えて欲しいと頼んだのだ。
野宿が多くなるだろうからと、簡単に出来る野菜のスープと、サンドウィッチの作り方を。
「ん?ナイフの使い方は教えてもらわなかったのか?」
「私は横で見ていただけだから…」
「あぁ、そっか。じゃ、オレが入って良かったな。絶対きつくなってたぜ、料理当番」
「本当。その点は感謝ね」
「その点って…。もっとこう、嬉しいですとか、ありがとうとか言えよ」
「はいはい。嬉しいです、ありがとうございますー」
「なんだよ。全然感謝の気持ちがこもってねぇな。ま、この際だ。皆出来るようになってもらうか」
「何をでげすか?」
振り向けば後ろに、枝を拾い終えたエイトとヤンガスが戻ってきていた。
「ククールがね、皆に料理を教えてくれるんですって」
「料理ぃ?」
ヤンガスが両腕に抱えた枝を地面へと豪快に落としながら尋ねる。
「僕は一応、出来るんだけど…。どうしたの、一体」
エイトはその上に静かに重ね、鍋を置きやすいように整える。
私はそこに鍋を置き、ボウルに入った水だけを捨ててジャガイモを入れる。
「ゼシカから聞いたんだ。ヤンガスは料理出来ない。エイトの料理はしょっぱい。ゼシカはまだそんなに得意じゃない。
だから得意なオレが、今度お前らにも手解きしてやるって事。皆出来た方がいいだろ?どうせ長旅になるんだし」
「え?ククールって得意なの?」
「ククール、得意なんでげすか?」
二人の声が揃った事に、私は思わず笑ってしまった。そうよね、意外よね。
「お前らなぁ…。修道院育ちを舐めるなよ。ゼシカも笑いすぎだって。ったく…オレが出来るのがそんなに意外かよ…」
彼らはそろって首を縦に振った。ククールの盛大なため息を聞きながら、私は笑いが抑えられなかった。スープの準備が終わり、私はエイトたちが拾ってきてくれた枝にメラを放ち、火を付ける。
これでコトコト煮込み味付けをすれば、スープの出来上がりだ。
煮えるまで少し時間が掛かるので、エイトはミーティア姫にお水を飲ませた後、ヤンガスと共に馬車の傍に腰を下ろし、武器の手入れをし始めた。
「ククールもゆっくりしてたら?サンドウィッチは簡単だから、私一人でも大丈夫だし」
「いいや、手伝うよ。ナイフの扱い方、見てるだけじゃ分かんなかったろ?オレ、左利きだしさ」
そう話すククールの手には、赤い林檎があった。いつの間に、鞄から取り出したのだろう。
「サンドウィッチ作った後にさ、こいつで実践しようぜ」
その林檎はミーティア姫のご飯として買ったものだ。皮付きのままあげていたので、勿論剥いた事などあるはずがない。
ジャガイモよりも大きいそれに、私は不満の声を上げる。
「大丈夫だって。大きさが違ってもコツさえ分かれば簡単だから。な?」
「…分かったわよ……」
そうして手早くサンドウィッチを作った後、ククールの皮剥き講習が始まった。
「ええと…ナイフじゃなくて、林檎の方を回すように動かせば、良いのよね?」
「そうそう。あ、早くしようとしなくていいぜ。肩の力も抜いて、ゆっくりな」
教わった通りに力を抜いて、ゆっくりと林檎を回しながらナイフへと当てていく。
「それで、右手の親指で軽くナイフを押さえつつ、左手を回すんだ。そうそう、その調子」
まだ若干のぎこちなさはあるけれど、それでも先程よりはスルスル剥けていく。途中何度か皮がぷつりと切れてしまったけれど、気にしない。
とにかく今は剥ければいいのだ。ククールが見せてくれたように、皮だけを薄く、綺麗に。
「で、出来た…!出来たわ!」
最後の一皮を剥き終えて、私は安堵の声を上げた。
「綺麗に剥けたじゃん。良かったな、ゼシカ」
「うん!ありがとう、ククール」
あまりの嬉しさに私の顔からは笑みが離れない。剥き終わった林檎を暫く眺めていると、ククールが「じゃあさ、ご褒美ちょうだい」と言った。
「ご褒美?」
横に居るククールの方へと顔を向けると、その顔は私の目の前に広がっていた。
「えっ…」
頬に感じる、唇の感触。その一瞬の出来事に、手に持っていた林檎が落ちて、地面に転がる。
「あーあ。折角綺麗に剥けたのに、土まみれじゃん」
今、何が起きたのか。私は理解をするのに時間が掛かった。
「ちょ、ちょっと…!いっ、今、あんたっ…!!」
口付けをされた頬に手を当てる。顔が、どんどん真っ赤に染まっていくのを感じた。
そんな私を尻目に、ククールは「本当なら唇にしたかったんだけどね」と呑気に笑っている。
「あんたって奴は……!!」
抑えていた怒りがついに爆発した。詠唱もなしに勢いよくメラを放つ。けれどもククールはまたも華麗にかわした。
「いーじゃん、頬にキスぐらい。減るもんじゃねぇだろ?」
「うるさいっ!なにが“減るもんじゃないだろ”、よ!!この変態っ!!」
「うわっ!お、おいっ、ゼシカ落ち着けって!悪かったよ!!悪かったから!!」
「絶っ対許さないんだから!逃げるなこらー!!」
さっき少しでも見直したと思った自分が。こいつに感謝をした自分が馬鹿みたい。
皮剥きなんて、自分でなんとかすれば良かった。 「あんたなんか、黒こげにしてやるー!!」 私の叫び声に、森で羽根を休めていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。


ククールのナイフ捌きが書きたかったんです。彼は料理上手な気がする。
主人公の名は自由に決められるのですが、エイトがほぼ公式っぽいのでそれにしてます。

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