連絡先、教えてよ。
そう訊かれて、エアリスは困った顔をした。
幾ら悪い人に見えなくても、相手は神羅のソルジャーだ。打ち解けたとは言えど、まだほんの少し、抵抗があった。
それにエアリスは、この青年が持つ”携帯電話”というものを持っていなかったのだ。
「携帯、持ってないの」
スラムの人間にとっては、手が出せないほどの代物。
上で暮らす者とは違って、それはなくてはならないものではないし、第一、それを購入する金銭があるのなら、少しでも暮らしを豊かにしたい。
そう思う者がほとんどだった。
「んー、そっか」
公園のブランコを漕いでいる、この青年の名前は、ザックス。
エアリスが足を運ぶ教会に、上から突然降ってきたソルジャーだった。
「あー、じゃあさ、家に、電話とかないの?」
ブランコが、まるで一回転をするのではないかというぐらい、大きく揺れる。
何度か揺れたあと、ザックスは物凄い高さから、離れていたエアリスの前へと飛び降りた。
いかにも"決まった"という顔でこちらを見るザックス。直後に、まだ揺れていたブランコがザックスの頭に直撃する。
「痛ってぇーー…」
その様子に、エアリスは思わず吹き出してしまった。笑いすぎて、目尻に涙が浮かぶ。
「だ…だいじょうぶ?」
そう声をかけるも、笑いはまだおさまらない。
「エアリス―、笑いすぎだって…」
「ご、ごめんね…。でも…ふふっ」
自分よりも年上なのに。そう感じさせない、その子供っぽい姿に。
エアリスはもう、戸惑いはなかった。
この人なら、大丈夫かも。ううん。きっと、大丈夫。
「さっきの、だけど…」
「ん?」
「…あるよ?家になら、電話」
告げた瞬間、大きくガッツポーズを取ったザックスに、エアリスはもう一度、笑った。



「ねぇ、お母さん」
テーブルに顔を乗せ、エアリスはその先に置かれた電話を見つめている。
「なんだい、エアリス」
エアリスの母エルミナは、キッチンで夕食の支度をしながら答える。
良い香りが鼻をくすぐる。今夜はシチューのようだ。エアリスはお腹がすくのを感じた。
「今日、わたしが教会に行っている時に、電話、鳴った?」
「…それ、さっきも訊いてたよ」
「…そうだっけ…」
顔をあげて、花瓶の花に触れる。仄かに香るその花は、三日前に自宅の庭で摘んだものだった。
ミッドガルには草木がない。痩せこけたスラムでなんて、以ての外。
けれど、あの教会だけは、花が育つ。そしてその花の種を庭に埋めたところ、何故かここでも咲くようになった。
教会と、自宅。エアリスは、もう何年も前から、その花の手入れを続けている。
「掛かってきたら、その時はちゃんと教えるわよ」
さぁ、ご飯にしましょう。キッチンから響くエルミナの声に、エアリスは立ち上がる。
中に入れば、ますますシチューの良い香りがした。

自室に戻り、エアリスはドレッサーの上に置かれた、小さな紙切れを手に取る。
くすんでしまったその紙には、大きな字で数字が書かれている。
もう何度ダイヤルしたか分からない、ザックスの電話の番号だった。
番号の下には、いつでも電話ちょうだい、の文字。
「なにが、"電話ちょうだい"よ…」
掛けたって、あなたは出ないじゃない。
女性の声で、繋がりませんというアナウンスが聞こえてくる、その番号。
わたしが聞きたいのは、あなたの声じゃない。ザックスの声が、聞きたいのに。
そのアナウンスを聞く度に、エアリスはもう、自分からは繋がる事は出来ないのだと、思い知らさせる。
もう、意味のない紙切れ。それでも、捨てる事は出来ない。
最後に声を聞いたのは、もういつだろうか。

『この任務が終わったら、逢いに行く』

いつものおどけた声で、彼はそう言った。嬉しくて、電話が切れたあとも、受話器を握りしめていたのを憶えている。
「あれからもう、一年が経つよ…」
あなたはいつ、帰ってくるのかな。明日?明後日?それともあと半月…?
溢れた感情は、とどまることを知らず、幾つもの雫となって、数字の上に落ちていった。

「手紙を、書いてみたら?」
翌日。朝食を食べ終えたあと、エルミナが言う。
エアリスは出されたお茶を飲みながら、「だれに?」と訊いた。
「あの黒髪の男の子」
ザックスのことだった。エアリスは小さなため息を零す。
「手紙なんて、届くわけないじゃない…」
ザックスの居場所が分からなければ、手紙なんて届かない。
だから、こうして毎日、ザックスからの電話を待ち続けるしかないのだ。
自分からは、もう、何もできない。
「どうして?」
俯いたエアリスに、エルミナは優しい声を掛ける。
「だって、宛先が分からないわ」
ティーカップを握りしめるエアリスの手に、エルミナの手が添えられる。
「前に、私の夫は神羅の兵士だった、って…話した事があるわよね」
「…うん…」
「向こうは忙しくてね、電話なんて、しょっちゅう出来るもんじゃなかった。
だから、手紙を書いたの。手紙なら、どんなに忙しくっても、いつでも読めるだろう、って」
「うん……」
エアリスは静かに、エルミナの言葉を待った。
「宛先なんて、彼の名前があれば十分。神羅の人に、お願いすればいいんだから」
だから、手紙を書いてみなさい。
きっと彼も、任務が忙しくて、連絡出来ないのかもしれないから。
その言葉に、エアリスは顔を上げ、目の前の母を見やる。
穏やかで、優しい微笑みが、そこにはあった。嬉しさと恥ずかしさで、エアリスの頬が少し赤みを差した。
どうして、今まで気がつかなかったのだろう。
「そっか、そうだよね…。ありがとう、お母さん」
わたし、早速書くね。エアリスは急いで二階への階段を駆け上がる。
エルミナは、エアリスが消えた階段を、温かく見つめていた。もしかしたら、そそっかしい彼の事だから、仕事中に、携帯が壊れちゃったのかもしれない。
だから、連絡が出来ないのかもしれないし、繋がらないのかもしれない。
重要な任務って言ってたから、きっとそう簡単に、帰ってこれないのよ。だって、ザックスはソルジャーだもの。
うん。きっと、そう。自分に言い聞かせながら、エアリスは自室のドアを開け、ドレッサーの引き出しに仕舞ってある便箋を取りだした。 

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