ピアノの弾けないピアニスト。そう言うと大半の人間は笑う。寧ろ笑われないほうが珍しかった。
だからぼくはつい口に出してしまった。
「笑わないのかい」
「なにをです?」
「ピアノの弾けないピアニストなぼくのこと」
「まったく弾けないわけではないでしょう」
「最近やっとドの音がどれかわかるようにはなったけど」
ようやく笑うやり手の弁護士先生。
「確かこっちが低くて、こっちが高い。あれ、違うなあ」
真っ白な歯に触れる。黒に染まったところには、一度も触れた事がない。
「どうも、わざとにしか見えませんが…」
「ぼくはいつだって真面目だよ」
こんな格好しているけど、きみみたいにスーツを着て、輝く向日葵の記章だって付けてた。
頭がいいわけじゃないけど、風変わりな友人の中ではまともで真面目なほうだよ。
知ってるだろう、牙琉先生。なのに、きみは。
「酷いな、牙琉先生は。一番傍にいるのにさ」
ずれてもいない眼鏡を押し上げるその癖。口には出さないけど、苛々している証拠。
「キミの傍に一番いるのは、あのお嬢さんでしょう」
「みぬきは家族だからね。家族以外じゃあ、今はきみが一番だ」
「家族、ね」
「あ、きみがお母さんでもいいよ。片親ってさ、風当たり強いから」
「…成歩堂」
「ああ、ごめんごめん。冗談だよ、牙琉。いや、後半は冗談じゃないんだけど」
あの子は強い子だ。母親がいなくたって、泣き言ひとつ言わない。学校だって、毎日行く。
よく笑うし、怒るし、ご飯だって残さずちゃんと食べる。
だらしのないぼくを咎めながらも、あの子はぼくを父親として慕う。
血が繋がっていなくたって、あの子の父親はぼくで。ぼくの娘はあの子で。かけがえのない家族だ。
世間の目なんか、気にしなくたって生きていける。
「冗談も言っていいものとそうではないものがありますよ」
「だから、ごめんって。お詫びに一曲、弾いてよ」
適当に触れるものだから、こいつだって怒っているに違いない。
「とうとう言葉の使い方まで分からなくなりましたか」
「先生なら、お茶の子さいさいだろう?こいつの扱い方」
「随分と、古めかしい喩ですね」
「古めかしい人間だからね、ぼくは」

文句を言いながらも、きみはこいつを慰める。
ぼくの知らないメロディを、さも簡単に披露してみせる。
綺麗なのは、見た目だけだなんて言ったら、きっと怒るんだろうな。

「ねえ、訊いてもいいかな」
「なんですか?」
弾きながらだって、会話も出来る。ぼくには到底無理な芸当。

「この曲は、なんて言うの?」


ぼくの自虐癖が抜けなくなったのは、いつからだろう。




馬鹿なふりをすればするほど満足する人っているよね。

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