淡い橙の光が包む寝室。
隣で眠る弟子の微かな寝息を聴きながら、私は彼の寝顔を見つめていた。
先程までの激しい情交が、まるで嘘のような穏やかな寝顔。
もう幾度となく繋げた躯。きっかけなど、容易いものだった。
彼が私に好意を寄せている事は、もう随分と前から知っていた。時折こちらを、見つめている事も。
声を掛ければ慌てて目を逸らす彼。
その頬が少し赤みを帯びた事から、私は次第に、彼の寄せるそれが下らないものである事に気付いた。
その時から私は、彼に見つめられる事が苦痛になった。しかし、これは都合が良いとも思った。
単純な彼の事だ。不本意ではあるが、こちらからも示し、はずみでも躯を繋げてしまえば、彼は更に熱を上げると踏んだのだ。
私の狙いは、見事上手くいった。
この安心しきった寝顔を見れば、彼が私を心から信頼しているのは、明らかだった。
そして彼が眠りに落ちているこの時ならば、私はあの苦痛を味わう事もない。
だからこそ私は、この静かな一時がなによりも好きだった。
彼は知り得もしないのだ。躯を繋げる、本当の理由も。背後からでしか抱かぬ理由も。
この行為が、愛玩動物に施すような、躾の一環だとも知らずに。
どんなに手酷くしても、彼は純粋に、ひたむきに私を慕い、想い続ける。
滑稽だった。彼の、その従順さが。
私の心に潜む思いも。込み上げる笑みの理由も知らず。
痛みに耐え、快楽に啼き、私の与える全てが愛だと信じて。躯を開き続ける彼が。
酷く、酷く滑稽だった。

私に他者への愛などない。そんな下らないもの、私は持ち合わせてなどいない。
だが、今の私に渦巻くこの感情は、なんだ?
何故私は、彼を抱く度に。抱き続ける度に。じくじくと、胸を刺すような痛みが走る?

いつから、私は――

「ん…」
身動ぎする彼からほんの少し身を引くと、閉じていた瞳がうっすらと開いた。
「…起こしてしまいましたか…?」
私はいつも通り冷静を装う。
「いえ……」
瞬きを繰り返すその様子は、前髪が下りている事もあって、より幼く見える。
「先生は…?ずっと…起きていたんですか…?」
「ええ…。キミの寝顔を、見ていました」
暗がりの中でも彼の顔が赤み出したのが分かる。慌ててブランケットを引く彼に、私は小さく笑う。
「隠さなくてもいいでしょう?」
私はそっとブランケットを剥ぐと、熱を持つその頬に、自らの手を添えた。
「それに…キミだって以前、私の寝顔を見ていたでしょう…?お互い様です」
それは数ヶ月前の事だった。
不覚にも仕事中、居眠りをしてしまった私が目を覚ますと、隣に彼が立っていたのだ。
その頬を、今のように赤らめて。_
「でも、オレ…先生に、見られてばっかりで…」
「キミはすぐに眠ってしまうからね。…事務所でも、ここでも」
「…すみません……」
謝る彼の髪を、さらりと梳いてやる。
「キミの寝顔を見ているのは、好きですよ」
その時ならば、キミの瞳に見つめられる事がないからだとは、言えずに。
「まぁ…。事務所では少し、問題があるけれどね」
「…はい、気を付けます…」
きつく咎めたつもりではないのだが、私の言葉に、彼は恥ずかしそうに唇を噛み締めた。
「オドロキくん。その癖は止めた方がいいね。綺麗な唇が傷付いてしまう」
彼の唇に、そっと指を這わせて。噛んでいた個所をゆっくりと撫でる。
「先生のほうが、綺麗です…」
くすぐったいのか、緩やかに綻ぶ、その唇に。
私は指を離して、自らの唇をそっと重ねた。
「んっ…」
啄むような口付けも、もう何度交わしたか分からない。
「せん、せ…」
小さな唇を吸い食んでは、それを何度も何度も、繰り返した。
唇を離すと、彼は熱を孕んだ吐息を漏らす。

「がりゅう、せんせい……」

その声が。その瞳が。私は苦痛でしかなかった。
「……オドロキくん」

なかったと、言うのに。

「先生…?」
ああ。
本当に滑稽なのは、どちらなのだろう。

「…オドロキくん」
「はい…」
こちらを見つめる彼の頬は、まだ赤みを帯びていた。
「キミももう、すっかり目が覚めたようだし…」
しっとりとした彼の肌を撫でながら、囁くように言葉を紡ぐ。
「お風呂にでも、入りますか?」
「え…?あ……」

沈黙の後、こくりと頷いた彼に、私は小さな笑みを零した。

一度。一度確かめてみるのも、良いのかも知れない。
私は、この感情を。この感情の名を――
 

 

本当に滑稽なのは先生ですよというお話。

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